美濃市美濃町伝統的建造物群保存地区


 重要伝統的建造物群保存地区に平成11年5月13日に選定された、美濃市美濃町伝統的建造物群保存地区は、慶長10年(1605年)に、高山藩主・金森長近が、隠居先として小倉山城を築城したことに伴い、低地にあった上有知の町を丘上に移して城下町を整備したことが起源である。
長良川の川湊、上有知湊の舟運で江戸時代から明治末まで発展し、江戸時代を通じて美濃和紙を中心とした商業で繁栄したまちである。

城下町・上有知は高台に造られた城下町であったため水に乏しく、今も城下には「番水」と云われる防火用水網が巡らされ、まちを火災から守る工夫がみられる。
享保8年(1723年)の大火は上有知の4分の3を焼失し、その後の防火対策として屋根の両端に防火壁の「うだつ」を上げる町家が増え、一番町通り、二番町通りの道幅を従来の2間から四間道に広げられた。

一番町通りと二番町通りと、横道で構成され、目の字型の町割となっている。この通りに沿って、奥行きの長い短冊状の敷地に切妻造平入の主家に、防火壁としての「うだつ」家屋が多く造られている。

和紙の照明を活かして、毎年10月に美濃和紙あかりアート展を開催しているようです。
下の写真は美濃和紙あかり館の中の映像です。

旧今井家住宅(市指定文化財)は、美濃市で最も古いうだつが上がる、庄屋兼和紙問屋であった町家です。江戸時代中期に建てられ、明治初期に増築されたと言われており、市内最大級の間取りとなっている。道路から特別なお客様だけが入ることができる入口が他地区とは違い、下屋が揃い目立たない入口となっている。

小坂家住宅(国の需要文化財指定)は、江戸時代から続く造り酒屋で現存する建物は安永元年(1772年)頃の建築、小坂家のうだつには鬼瓦が無くて、とりぶすま、左右に二枚の破風瓦、簡素な懸魚で構成されています。


町家を活かしたパン屋カフェ 美濃町家マムズ、水曜日は休みのお店が多いのか、にぎわっていました。町家の奥の半屋外空間がカフェ、奥にはガーデンもありました。







 

コメント